江戸時代末期に、仁科信治郎が行商をはじめたのがニシナの第一歩。その後、信治郎の婿養子・喜惣治が小さなよろず屋「濱中屋」を創業。日常の生活用品はもちろん、漁業用の投網や釣り針、井戸や水道用の土管、竹や材木、そしてなんと棺桶まで、村の人から頼まれれば、なんでも揃えた。そのため「ニシナさんにできないのは、葬式だけ」といわれていた。
店を土地ごと強制収容されてしまったものの、新しくできた軍需工場の近くに新店舗を構え、工場で働く人のために、食用品や日用品を販売。当時、工場では5万人ほどが働いていたため、商売は大繁盛。
水島地区にコンビナートが建設されるなど、地元が産業都市として発展していくことを予見し、昭和25年には「水島百貨店」を買収して現在の本店の場所に進出。他社に先駆けて、いち早く「セルフサービス方式」を取り入れるなど、進取の気風に富んだ事業展開をしていく。
店舗を失い大きな負債を抱えることになったニシナ。しかし、長年培ってきた信用もあり、取引先さまやお客さまは「ニシナさんが困っているから」と、あたたかく応援してくれた。「ニシナさん、早く再開して欲しい」という声が多数あり、火事の4~5日後には仮設店舗で営業を再開。
大型チェーンが岡山にも進出。競合が都市部を狙って出店を遂げていくのに対し、ニシナは都市部ではなく郊外への出店を進め、地元の人々の暮らしに欠かせない県下有数のローカルチェーンストアへと成長した。
外資のスーパーが県内に多数出店し、小売業界は価格競争に飲み込まれていくなか、ニシナは「フードバスケット」の出店を開始。安さではなく、それぞれの地域のニーズに合わせたオリジナリティあふれる売場や品揃え、品質の高さ、丁寧な接客で勝負している。忙しい日々の食卓にも、特別な記念日の食卓にも対応できる良質な商品を日本全国・海外から仕入れ、地域コミュニティの中心的存在として地域のお客さまへの情報発信も積極的に行なっている。